@article{oai:rissho.repo.nii.ac.jp:00009923, author = {鄭, 国全 and ZHENG, Guoquan}, issue = {2}, journal = {地域研究, REGIONAL STUDIES}, month = {Mar}, note = {本研究は,内モンゴル自治区赤峰市の巴林右旗を事例として,牧畜地域におけるモンゴル民族と漢民族との共存形態を,両民族の人口の変化と分布状況,民族言語の使用状況,民族教育の様態および民族間の交流に視点を置いて考察したものである.巴林右旗へは,清国時代末期に実施された「移民実辺政策」および中華民国時代の開拓政策によって多くの漢民族が移住した.その結果,従来の遊牧地域が耕種農業と牧畜業の混交した地域に転じ,モンゴル民族と漢民族の共存社会が形成された.さらに中華人民共和国建国後には,巴林右旗へ多くの漢民族が新たに移住し,漢民族の人口はモンゴル民族のそれを上回ることとなった.一方,自治民族の優遇政策などによりモンゴル民族の人口増加率は漢民族のそれより高い.両民族の分布はそれぞれの生業を反映しており,モンゴル民族は牧畜地域のソムに集中しているが,漢民族は農業地域の郷鎮に多く分布し,農業や商業に従事している者が多い.巴林右旗のモンゴル民族の大部分はモンゴル語を使用している.モンゴル民族に対する学校教育ではモンゴル語による民族教育が行われているが,モンゴル語を学習するモンゴルの生徒数は減少する傾向にある.両民族間の交流をみると,モンゴル民族と外部地域の漢民族との経済交流は盛んであるが,巴林右旗地域内の漢民族との経済交流は少ない.また,両民族間の交友と結婚は,両民族の分布状況によって異なる.すなわち,両民族が雑居している地域では交友と結婚が頻繁にみられるが,両民族がそれぞれほぼ単独で居住する地域間では,両者の交友と結婚はほとんどみられない., 研究ノート}, pages = {10--22}, title = {中国・内モンゴル自治区巴林右旗(はりんうき)におけるモンゴル民族と漢民族の共存形態}, volume = {45}, year = {2005} }